絵本と私


 稲毛の西友の近くに会留府という子どもの本の専門店がある。出来たての頃から横眼でにらんでは通り過ぎていたのだが、どうも恥ずかしくて入れないでいた。
 ある日のこと、一冊の本が欲しくなったので、思いきってとびこんで、店の人に尋ねた。あのう、ー猫はいきているー を描いた田島征三さんの双子のきょうだいの何とかさんの ーくちたんばのんのんのんきーという絵本はありますか。すると、その人は、僕の背中にまわって、それは絵本じゃなくてここにあります、と言って僕のまえに単行本を出してくれた。これが会留府の女主人との出会いであった。それ以来、学校の帰りに立寄って、本をのぞいたり、おしゃべりをしたりするようになった。子どもはいません、絵本は僕が読むんです、という変なおじさんの客をいやな顔もせず迎えてくれる。おかげでだんだん冊数が増えてきた。おかしなもので、最初のうちはぶつぶつ言っていたうちの奥さんも、この頃は黙って読むようになった。僕たちの子どもの頃、絵本といえば、講談社の絵本に決まっていた。むかし立山登山の途中、森林帯でみた針葉樹の枝が豪雪のためにすべて下を向いている有様が、講談社の絵本の牛若丸鞍馬山にて、天狗相手に剣術に励むの図と重なって、そう言えば木の枝がみんなうなだれていたことを思い出し、とても懐かしいと同時に絵かきさんが忠実に描いたその態度に奥床しいものを感じたのであった。素人は往々にして子どもの審美眼をみくびっているようであるが、それはまちがっている。絵画にせよ、音楽にせよ、ほんものとにせものを見分ける力はいちはやく発達しているものだから、最初から一流の作品をあてがうべきで、おかしな味付けのお子様向料理みたいなものは、時によると侮辱的だとさえ思うのである。そういういみで、ー天動説の絵本ーに示された志の高さにまず感動した僕はいま安野光雅の絵本に凝っている。
 酒井健一 ある学級通信 未來社より

上記を書かれた酒井先生は90歳をこえられましたがお元気です。いただいた原稿は縦組みで、うちなおしてあります。

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