近くの公民館の塀に見事な瓢箪がいくつもぶら下がっている。大きいので風にブラブラとはならない。瓢箪を見るたびに子どもたちの読書状況を思う。私が子どもだった頃からすごく本を読む子はいたけれど、提灯型でほとんどの子どもはまん中に固まっていた。友だちの影響や先生の影響でその大部分の層は読んだり、読まなかったり、ルパンが流行って我先によんだり、貸し借りもずいぶんとあった。学校図書室はいまより活気があった。いまは完全に瓢箪型、まんなかがくびれて、読む子と読まない子、スマホのみの子としっかりわかれている。それも固定化している。先生の読み聞かせも、学力、勉強であまりなくなってきている。家庭環境はますます差がつくばかり。瓢箪型でなく、あかりを灯す提灯型にならないだろうか。
本を読む、ほかに夢中になることがある時、でも時には本を読む、読書には、本にはそんな自由がある。