そこは、どこかの空き地なのだ。雑草が適当にのび、地肌は見えない。別に囲いもさくもないから、空き地のすぐわきは道路で、その道路はアスファルトで舗装してある。そして、道路には、電柱が一本たっており、その電柱にはセミがとまっている。もちろん、セミはうるさいほどに鳴いている。これは何の風景なのだろうか。
1987年の東大入試に採られて以来、我々の業界で有名になった新井素子の「夏の終わり」の一節である。新井は、現実の記憶ではないと話を続ける。
これとは全く違うのだけれども、毎年今頃の季節になると、肌寒いような切なさとともに頭に浮かぶ風景がある。
薄暗い時間帯。細長い沼地が見える。後ろには雑木林が広がり、落ち葉を踏みながら分け入って少し歩くと、正午過ぎの陽だまりのような広場に、いぬまきの大樹が3本そびえ立っている。
これはどうも、6年間通った通学路の断片と、何度も読み返したシートン動物記やファーブル昆虫記の描写が混じった風景であるらしい。私にとっては、ここに読書によって作られたイメージが含まれるのが大事である。
特にここ4、5年、子供たちが紹介しあう本を見ると、読み心地は良いが、心にイメージを残すほどの描写を備えたものが減ってきているように思う。古典的な名作を読めと推薦図書を並べる気もないが、心に絡みつくほどのイメージを喚起するようなテキストを、もっと子供たちの読書生活の中に入れられるようにしたい。
そんな気持ちで、自分が読み、紹介した本や、生徒とのことについて、吶々と書いていければと思います。
この出発点を覚えていられるように、ハンドルネームは「いぬまき」にします。よろしくお願いします。